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くろねこのぶらり島歩き

上蒲刈島の記憶。

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上蒲刈島と言えば懐かしく思い出す事がひとつある。
デザインの専門学校に通っていた19歳の頃、季節はいつ頃だったのか忘れてしまったが、
AとBの2つあったクラスがひとつになっていたので少なくとも2年目だったと思う。
色彩構成の授業だったか、クラスほぼ全員1泊2日で上蒲刈島にスケッチに出かけた事があった。

当時はまだ安芸灘大橋は当然無かったが、蒲刈大橋はあった。
たしかJR呉線で仁方に着き、そのまま仁方港からフェリーで向港に渡り、
下蒲刈・上蒲刈両島でフィールド・スケッチの授業を受けたと思う。
厳しいけどやさしい色彩構成の講師とパッケージの講師2名が同行していて、
結構楽しい2日間だったと記憶している。

記憶では、ちょうどクラスの女の子の実家が上蒲刈島でお宿をやっていて、
そこにみんなで1泊宿泊することになっていてのだが、
クラスの男女合わせてほぼ全員揃っている大人数な上に当時の年齢だ、
夜は深夜まで文字通りどんちゃん騒ぎとなり、気がつくと一緒に騒いでいたメンバー全員、
同じ部屋でその場でめいめいごろ寝したまま朝をむかえていた。
今でもその時の事を思い出せるという事は、相当楽しかったんだろうとしみじみ思う。

だからなのか、蒲刈島と聞けばまず当時スケッチした蜜柑畑や海沿いの様子が思い浮かぶ。
豊島などに行く際に通っているが、それから20年以上経ってじっくり上蒲刈島を巡る事になり、
一番楽しみにしていたのは当時の記憶がある向地区だった。

記憶をなぞる様に海沿い周辺を歩いてみると、あの宿らしき建物も見かけたが、
夜のどんちゃん騒ぎは覚えていても、宿の名前を忘れてしまっているのは不覚の極み・・・。
蒲刈大橋の下あたりも少し変わっていたが、「この辺に座ってスケッチしたなぁ」と思い出す。
変わらない所は変わらず、変わってしまったものは変わっている、それは何処も同じ事だ。
記憶を辿りながら歩いた上蒲刈島・向地区は、短い時間だったが楽しく過ごせた。

それにしても、その時の事で一番思い出すのは、何という海老だったか忘れてしまったが、
その海老の踊り食いの美味しかったこと美味しかったこと。本当に忘れられない。
by shimakuroburari | 2016-03-20 05:41 | 上蒲刈島 | Comments(0)